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仕様
サイズ:750×900mm
重量:約2.5kg
カラー:ブラック
適用:F99-7用
材質:合成ゴム

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2021年12月26日日曜日

詩人茨木のり子の年譜(改訂ー4) 1945(昭20)19歳 「ろくにお風呂にも入れず、薬瓶のつめかえ、倉庫の在庫品調べ、防空壕掘りなど真黒になって働き、原爆投下のことも何も知らなかった」(「はたちが敗戦」)      

 


詩人茨木のり子の年譜(改訂ー4)


1945(昭20)19歳

この年から、医学系の女子の専門学校にも動員がかかる。

この年の夏、茨木は世田谷区上馬にあった海軍療品廠、海軍のための薬品製造工場に泊り込みで詰めていて、「ろくにお風呂にも入れず、薬瓶のつめかえ、倉庫の在庫品調べ、防空壕掘りなど真黒になって働き、原爆投下のことも何も知らなかった」とある。

東京の空は日夜、爆撃機B29が来襲した。空襲警報が鳴り、防空頭巾をかぶって防空壕に入る日々 -。


昭和二十年、春の空襲で、学生寮、附属病院、それと学校の一部が焼失し、毛布を切って自分で作ったリュックサックに身のまわりのものをつめて、ほうほうのていで辿りついた郷里は、東海大地震で幅一メートルくらいの亀裂が地面を稲妻型に走っており怖しい光景だった。激震で人も大勢死んだが、戦時中のことで何一つ報道されてはいなかった。

医師も軍医として召集され、無医村になったところがあちこちに出来、父は吉良町の町議会から懇望されて、既にその町で開業していた、が、まるで野戦病院の観を呈していた。繃帯、ガーゼの類もなくなり、オシメ、古浴衣の袖ありとあらゆるポロ布を消毒して傷口に当てていた。治療してもらう患者は、ポロ布持参であり、家では一日中、煉炭でグツグツ消毒煮であった。

なにもかもが、しっちゃかめっちゃかの中、学校から動員令がきた。東京、世田谷区にあった海軍療品廠という、海軍のための薬品製造工場への動員だった。

「こういう非常時だ、お互い、どこで死んでも仕方がないと思え」という父の言に送られて、夜行で発つべく郷里の駅頭に立ったとき、天空輝くばかりの星空で、とりわけ蠍座がぎらぎらと見事だった。当時私の唯一の楽しみは星をみることで、それだけが残されたたった一つの美しいものだった。だからリュックの中にも星座早見表だけは入れることを忘れなかった。

東京の疲労は一段と深くなっていて、大半は疎開したのだろう、残っている人達は、蒼黒く、或いは黄ばんだ顔で、のろのろと動いていた。輸送機能も麻痺したらしく、布団を送った学生の集結地から世田谷区上馬の動員先まで一人一人が布団をかついでいけということになった。重くかさばる布団袋を地面をひきずり、国電にひきずりこみ、やっとの思いで運んだ。現在国立第二病院になっているところで、自由ケ丘のあたりを通るとき、そのときの蟻のようだった私たちの姿が幻覚されることがある。

七月初から八月十五日迄、短い期間だったが暑いまっさかり、ろくにお風呂にも入れず、薬瓶のつめかえ、倉庫の在庫品調べ、防空壕掘りなど真黒になって働き、原爆投下のことも何も知らなかった。八月十三日の夜、宿舎で出た魚が腐敗したものだったらしく、そこに配属されていた学生十人ばかりが全員吐いたり下したりで苦しんだ。

八月十五日はふうふうして出たが、からだがまいって、重大放送と言われてもピンとこなかった。大きな工場で働いていた全員が集まり、前列から号泣が湧きあがったが、何一つ聴きとれずポカンとしていた。自分たちの詰所に戻ってから、同級生の一人が「もっともっと戦えばいいのに!」と呟くと、直接の上司だった海軍軍曹が顔面神経痛をきわだたせ、「ばかもの!何を言うか! 天皇陛下の御命令だ」それから確信を持って、きっぱりとこう言ったのだ。「いまに見てろ! 十年もたったら元通りになる!」

(「はたちが敗戦」)



敗戦放送の翌日、友人と二人で郷里に向かう。東海道線は大混乱で、蒲郡までたどりついたが、無賃乗車であった。

東海道線で小田原を過ぎて熱海の手前、根府川という小さな駅がある。詩「根府川の海」の一連はこうである。

《ほっそりと

蒼く

国をだきしめて

眉をあげていた

莱ツパ服時代の小さいあたしを

根府川の海よ

忘れはしないだろう?》

根府川の海 茨木のり子 (『対話』1955年11月不知火社刊 初出「詩論」1953年2月 詩人27歳)


郷里の吉良は、東京の激動と混乱が嘘のようにのんびりとしていた。

秋になって、再び上京。

大森の軍需工場の跡地が学校の仮の寮となっていた。


敗戦後、さまざまな価値がでんぐりかえって、そこから派生する現象をみるにつけ、私の内部には、表現を求めてやまないものがあった。

学校の再開もおぼつかなかったし、家の仕事を手伝いながら、いろいろ思いめぐらしているところへ秋頃、突然学校から文書が届き、「試験をやるにつき出てくるように。この試験を受けたものは、ともかく四年生に進級させる」というようなこと、が書かれていた。試験をするも何も、授業も勉強もしておらず、そんな具合でただただ四年生になるのかと渋ったが、父は「行ってこい」の一点張りで、「薬学への道を決めたのは私だが、お前もそれを肯い志を立てた以上、途中放棄はいけない。ともかく薬剤師の免許を取れ。それさえも出来ないようなら、これからやりたいという文学の道だって貫くことは出来なかろう」と理路整然と説かれ、それもそうかと説得されてしまい上京した。

焼けた学生寮に代り、今度は大森の、かつての軍需工場の寮が宿舎になった。東京の荒廃はすさまじく、防空壕を仮すまいとし虫のように出たり入ったりする人々の営みが、あちらにもこちらにも点々と連なっていた。銀座も瓦礫の山で、場所によっては一望千里の趣があった。アメリカ兵、復員兵が盗れ、闇市に食を求める人々が犇めき、有楽町、新橋駅のガード下あたり毒茸のようにけばけばしいパンパンが足をぼりぼり掻きながら群れていた。

同級生の中には進駐軍を恐れ、娘の操を守るべく、はやばやと丸坊主になってしまった人もいて、しばらくの闇頭巾をかぶって登校していた。

(「はたちが敗戦」)


《参考資料》

後藤正治『清冽 詩人茨木のり子の肖像』(中央公論社)

後藤正治『評伝茨木のり子 凛としてあり続けたひと』(『別冊太陽』)

金智英『隣の国のことばですもの 茨木のり子と韓国』(筑摩書房)

成田龍一「茨木のり子 - 女性にとっての敗戦と占領」(『ひとびとの精神史第1巻 敗戦と占領 - 1940年代』)

井坂洋子『詩はあなたの隣にいる』(筑摩書房)

芳賀徹『みだれ髪の系譜』(講談社学術文庫)

中村稔『現代詩の鑑賞』(青土社)

高良留美子『女性・戦争・アジア ー 詩と会い、世界と出会う』(土曜美術社)

小池昌代「水音たかく - 解説に代えて」(谷川俊太郎編『茨木のり子詩集』所収)

蘇芳のり子『蜜柑の家の詩人 茨木のり子 - 詩と人と』(せりか書房)

『展望 現代の詩歌 詩Ⅳ』(明治書院)


『文藝別冊「茨木のり子」』所収論考

長谷川宏「茨木のり子の詩」

若松英輔「見えない足跡 - 茨木のり子の詩学」

姜信子「麦藁帽子にトマトを入れて」

河津聖恵「どこかに美しい人と人との力はないか

 - 五十六年後、茨木のり子を/から考える」

野村喜和夫「茨木のり子と金子光晴」

細見和之「茨木のり子の全人性」


《茨木のり子の作品》

大岡信との対談「美しい言葉を求めて」(谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』(岩波文庫)所収)

茨木のり子「はたちが敗戦」(『ストッキングで歩くとき』堀場清子編たいまつ新書1978年)

茨木のり子「「櫂」小史」(『現代詩文庫20茨木のり子』所収)

茨木のり子『ハングルへの旅』(朝日新聞社)

茨木のり子『わたくしたちの成就』(童話屋)

茨木のり子/長谷川宏『思索の淵にて - 詩と哲学のデュオ』(近代出版)

茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書9)

茨木のり子『個人のたたかい ー金子光晴の詩と真実ー』(童話屋)

茨木のり子『茨木のり子全詩集』(花神社)

谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』(岩波文庫)

高橋順子選『永遠の詩② 茨木のり子』(小学館)


茨木のり子の詩と茨木のり子関連記事 (最終更新日2021-12-26)



防衛省職員、決裁済み文書に追記 公文書偽造の疑い(朝日); 隠蔽・改ざんは今やこの国の文化。国交省による統計偽装も隠蔽されていたし、大企業でも目立ってきている。上が腐れば全部腐る。自民党長期政権の「成果」。政権交代なき国では腐敗は不可避。国の「良識」が問われている。 — 小沢一郎(事務所)



 

世界の超富裕層1%、4割を独占 コロナ影響、格差拡大に拍車(共同);「世界上位1%の超富裕層の資産が今年、世界全体の個人資産の37.8%を占めたことが、経済学者ら100人超による国際研究で分かった。下位50%の資産は全体のわずか2%だった。・・・特に最上位の2750人だけで3.5%に当たる13兆ドル(約1490兆円)超を占め、富の集中は鮮明。」   

 


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茨木のり子の詩と茨木のり子関連記事 (最終更新日2021-12-26)

 

《茨木のり子の詩》

「自分の感受性くらい」 (茨木のり子 詩集『自分の感受性くらい』) ; 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

「倚(よ)りかからず」 (茨木のり子 詩集『倚りかからず』より) : もはや できあいの思想には倚りかかりたくない ・・・ じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある

麦藁帽子に (茨木のり子)

波の音   (茨木のり子)

いちど視たもの - 一九五五年八月十五日のために -  (茨木のり子)

汲む - Y・Yに -  (茨木のり子)

通らなければ  (茨木のり子)

ある一行     (茨木のり子)

初秋    (茨木のり子)

別れる練習をしながら (趙炳華) 茨木のり子『韓国現代詩選』より

ぎらりと光るダイヤのような日  (茨木のり子)

四海波静   (茨木のり子)

木の実   (茨木のり子)

窓  (茨木のり子)

隣国語の森  (茨木のり子) ; 若い詩人尹東柱 / 一九四五年二月 福岡刑務所で獄死 / それがあなたたちにとっての光復節 / わたくしたちにとっては降伏節の / 八月十五日をさかのぼる僅か半年前であったとは

知命 (茨木のり子) / ほぐす (吉野弘)

なかった  (茨木のり子) ; 武士道は なかった 上層部の逃げ足の迅さ 残留孤児は老い去りて 武士道は なかった 神州清潔の民は もっとも不潔なことをした近隣諸国に

さくら   (茨木のり子) ; さくらふぶきの下を ふららと歩けば 一瞬 名僧のごとくにわかるのです 死こそ常態 生はいとしき蜃気楼と

問い (茨木のり子 第六詩集『寸志』)

瞳 (茨木のり子 第七詩集『食卓に珈琲の匂い流れ』)

突然 間違って生きているという思いが (呉圭原 / 茨木のり子『韓国現代詩選』)

行方不明の時間 (茨木のり子 『茨木のり子集 言の葉3』 2002年10月)

この失敗にもかかわらず (茨木のり子 第六詩集『寸志』 1982年12月) そう この失敗にもかかわらず 私もまた生きてゆかねばならない なぜかは知らず 生きている以上 生きものの味方をして

球を蹴る人 - N・Hに - (茨木のり子 『茨木のり子集 言の葉3 』 2002年10月)

灯 (茨木のり子 「アムネスティ人権報告」 1993年12月)

くりかえしのうた (茨木のり子 『人名詩集』 1971年5月)

五月の風は (茨木のり子 「北海道新聞」1962年5月10日)

五月のうた (茨木のり子 「装苑」 1965年5月)

あいなめ (茨木のり子 『茨木のり子詩集(現代詩文庫20)』 (1969年3月)

六月 (茨木のり子 『見えない配達夫』) / 芳賀徹「六月のユートピア ー 茨木のり子の詩一篇」(『みだれ髪の系譜』)

あるとしの六月に (茨木のり子 『鎮魂歌』1965年1月)

道づれ (茨木のり子 『歳月』2007年2月)

わたしが一番きれいだったとき 茨木のり子(『見えない配達夫』より) ; 男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差だけを残し皆発っていった

総督府へ行ってくる 茨木のり子(『食卓に珈琲の匂い流れ』より)

十二月のうた  (茨木のり子 花神ブックスⅠ『茨木のり子』(花神社 1985年5月)59歳)

内部からくさる桃    茨木のり子(『対話』1955年11月)

灯   茨木のり子(「アムネスティ人権報告」1993年12月 67歳)

根府川の海 茨木のり子 (『対話』1955年11月不知火社刊 初出「詩論」1953年2月 詩人27歳)


《茨木のり子関連記事》

今こそ 茨木のり子 時代を見つめ、明快に主張 生涯ぶれず「自分で思考」 (『朝日新聞』) : 「駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」 (「自分の感受性くらい」)

ただ一度 大尉と歩いた浅草の街 (『朝日新聞』2016-07-18「声 語りつぐ戦争」) ;  「わたしが一番きれいだったとき」という詩を読んだ瞬間、あの大尉が蘇った。作者は、私と同じ年に生まれた茨木のり子さん。・・・

文藝別冊「茨木のり子」発売 没後10年、ますます輝きをます「現代詩の長女」の新しい魅力にせまる。谷川俊太郎、井坂洋子×小池昌代、工藤直子、紺野美沙子ほか — 河出書房新社

美智子皇后 ; 「まあ、童話屋さん」・・・「『あたらしい憲法のはなし』を出していただいてありがとうございます」・・・「私どもは毎年五月三日の憲法の日に、昔の教科書を取り出して家族で読む習わしにしております」・・・「もうぼろぼろになってしまって、これが新しく出て、大変に嬉しい。ありがとうございます」

12月19日はエディット・ピアフの誕生日 / (Youtube) エディット・ピアフ『愛の讃歌』 越路吹雪『愛の讃歌』 / 田中和雄「低い濁声で歌った『愛の讃歌』」(『別冊文藝』茨木のり子)のこと / 中学教科書の『愛の讃歌』(小林純一作詞)のこと

『別冊太陽 茨木のり子』が出たので速攻で買って来た 2019-11-28

茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)で河上肇「味噌」を読む 2021-01-31



根府川の海 茨木のり子 (『対話』1955年11月不知火社刊 初出「詩論」1953年2月 詩人27歳)


根府川の海           茨木のり子


根府川

東海道の小駅

赤いカンナの咲いている駅


たっぷり栄養のある

大きな花の向うに

いつもまつさおな海がひろがつていた


中尉との恋の話をきかされながら

友と二人ここを通ったことがあった


あふれるような青春を

リュックにつめこみ

動員令をポケットに

ゆられていつたこともある


燃えさかる東京をあとに

ネーブルの花の白かつたふるさとへ

たどりつくときも

あなたは在った


丈高いカンナの花よ

おだやかな相模の海よ


沖に光る波のひとひら

ああそんなかがやきに似た

十代の歳月

風船のように消えた

無知で純粋で徒労だった歳月

うしなわれたたった一つの海賊箱


ほっそりと

蒼く

国をだきしめて

眉をあげていた

菜ツパ服時代の小さいあたしを

根府川の海よ

忘れはしないだろう?


女の年輪をましながら

ふたたび私は通過する

あれから八年

ひたすらに不敵なこころを育て


海よ


あなたのように

あらぬ方を眺めながら…‥。


(『対話』1955年11月不知火社刊 初出「詩論」1953年2月 詩人27歳)


翌昭和二十八年になって、一月十五日、詩学社の木原孝一氏から速達が届き、二月号の新人特集に載せたいから、四〇行位の詩を至急送るようにという依頼だった。

毎年二月号は、新人特集号で、投稿者のなかからと、同人雑誌で、いい仕事を果した人達が選ばれて、本欄に掲載される権利を獲得するのである。

うれしかった。詩学研究会という道場には忍者スタイルで、二年半近く通ったことになる。

たまたまその日は、成人の日で休日。夫と一緒に新宿へ映画「真空地帯」を観にゆくことになっていたが、一寸待ってもらって、原稿用紙に向い、十分位で、ちゃらちゃらと書いたのが「根府川の海」である。既に私の心のなかに出来上っていたとも言えるが、今ではもう、あんなふうに気楽には書けなくなってしまっている。

投函しがてら、新宿へ出て、予定通り「真空地帯」をみた。あの時の木村功は絶品だった。強烈な映画の印象にふらふらになって、濃い珈琲で人心地をつけ、紀伊国屋書店で前からほしかった金子光晴の詩集『人間の悲劇』を買って帰った。

しばらくの間、ラスト・シーンで木村功のうたった「色でかためた遊女でも、また格別のこともあるウ…」のうたが頭から離れなかった。

私の住む所沢町にも、戦後の遊女であるところの、ぱんぱんがひしめいていて、女湯では、いやでも彼女らと肌ふれあい、「ゆんべ、仙子のやつ殴られて(GIに)顔がどぶくれたってよウ」「へン、みものだったべな」などという関東訛の会話をしょちゅう聞かされていたし、すさまじい刺青にも、ぎょっとさせられた。敗戦後の実態を、日夜肌身に感じさせられた環境から、戦後の詩というものを望見すると、言い知れぬじれったさに駆られた。

この町に六年あまり住んでのち、この町を離れると、日本にアメリカ軍基地が沢山あることを、毎日の意識としては、そう感じなくなってきたのだった。おそらく沖縄の人たちが現在、本土に対して持つだろう、じれったさや感覚の落差を、私なりに想像してみることがある。

昭和二十八年、詩学の新人特集号(二月号)には、川崎洋、牟礼慶子、舟岡遊治郎、吉野弘、花崎皐平、といった名前が並んでいた。

(「「櫂」小史」)




2021年12月24日金曜日

鎌倉散歩 妙本寺(鮮やかに光彩を放つ名残りの紅葉、満開の蝋梅、紅梅・椿の咲き始め) 大巧寺の椿(氷室雪月花)とマンリョウ 2021-12-24

 12月24日(金)、はれ

今日は鎌倉の妙本寺など駅周辺の近場を散歩。総歩数は1万3千歩。

妙本寺では名残りの紅葉がまだ鮮やかに光彩を放っている一方で、蝋梅(ソシン蝋梅)は満開、ポツリポツリと早めの紅梅や椿が咲き始めている。









▼大巧寺の椿(氷室雪月花)とマンリョウ



大阪市(松井一郎市長)、アベノマスク受け入れ。和泉洋人さんを特別顧問に受け入れ。 → 和泉さんは所謂「コネクティング」で有名だけど、松井さんもあの安倍さんと随分コネクティングかな?   

 

詩人茨木のり子の年譜(改訂ー3) 1942(昭17)16歳~1943(昭18)17歳 「そのために声帯が割れ、ふだんの声はおそるべきダミ声になって、音楽の先生から「あなたはあの号令で、すっかり声を駄目にしましたね」と憐憫とも軽蔑ともつかぬ表情で言われた。いっぱしの軍国少女になりおおせていたと思う。」(「はたちが敗戦」)       

 


詩人茨木のり子の年譜(改訂ー3)

1942(昭17)16歳

この年の秋、いまの名鉄西尾線・吉良吉田駅前(愛知県幡豆郡吉良町吉田)に、父、宮崎洪が宮崎医院を開く。

この頃、吉良は無医村状態で、町議会が隣町・西尾の山尾病院副院長の職にあった宮崎に懇願し、医院開設となった。

三河湾に画した吉良町に転居。


・・・・・戦時期の茨木は、自ら後年に綴った文章によれば、「いっぱしの軍国少女になりおおせていだと思う」としている(「はたちが敗戦」堀場編一九七八)。

通っていた高等女学校は全国に先駆けて校服をモンぺとした学校であり、「良妻賢母教育と、軍国主義教育とを一身に浴びていた」。また、三年生のとき、「分列行進の訓練」で「中隊長」として選ばれ「号令と指揮」を取ることになり、「全校四百人を一糸乱れず動かせた」(同前)。

小旗をふって「出征兵士」を見送り、食料増産のために農家へ出張する「勤労奉仕」も多く、「勉学というものには程遠く、戦争にばかり気をとられ、ウワウワとした落ちつきのない四年間」であり、その後、専門学校に進学してからも、戦死した山本五十六の「国葬」に参列し(一九四三年)、薬品工場への動員も経験している。

また、敗戦後に「化学の世界」から「文学の世界」へと「私個人もまた、一八〇度転換を遂げたかった」と記すとともに、敗戦後の光景を「アメリカ兵、復員兵が溢れ、闇市に食を求める人々が犇(ひし)めき、有楽町、新橋駅のガード下あたり毒茸のようにけばけばしいパンパンが足をぼりぼり掻きながら群れていた」と描写した。同級生には「進駐軍を恐れ」「娘の操を守るべく」丸坊主になってしまうものもいたことを、書きとめている(同前)。(成田龍一)


太平洋戦争に突入したとき、私は女学校の三年生になっていた。全国にさきがけで校服をモンぺに改めた学校で、良妻賢母教育と、軍国主義教育とを一身に浴びていた。

退役将校が教官となって分列行進の訓練があり、どうしたわけか全校の中から私が中隊長に選ばれて、号令と指揮をとらされたのだが、霜柱の立った大根畑に向って、号令の特訓を何度受けたことか。


かしらァ・・・・・右イ

かしらア・・・・・左イ

分列に前へ進め!

左に向きをかえて 進め!

大隊長殿に敬礼! 直れ!


私の馬鹿声は凛凛とひびくようになり、つんざくような裂帛(れっぱく)の気合が籠るようになった。そして全校四百人を一糸乱れず動かせた。指導者の快感とはこういうもんだろうか? と思ったことを覚えている。

そのために声帯が割れ、ふだんの声はおそるべきダミ声になって、音楽の先生から「あなたはあの号令で、すっかり声を駄目にしましたね」と憐憫とも軽蔑ともつかぬ表情で言われた。いっぱしの軍国少女になりおおせていたと思う。声への劣等感はその後長く続くことになるのだが。

女学校の隣が駅だったため、私たちはしょっちゅう列を組んで小旗をふり、出征兵士を見送るのも学校行事の一つだったし、増産のため農家へ出張する勤労奉仕も多く、稲刈、麦刈、田植、兎狩り、蝗狩り、もっこかつぎ、なんでもやった。今でも鍬のふるいかたなど「奥さんの実家は農家ですか?」と言われるほどうまい。

勉学というものには程遠く、戦争にばかり気をとられ、ワウワウとした落ちつきのない四年間だった。・・・・・

(「はたちが敗戦」)


1943(昭18)17歳

「女も資格を身につけて一人で生き抜く力を持たねばならぬ」という開明的な父の方針により、東京・蒲田にあった帝国女子医学・薬学・理学専門学校(現・東邦大学)薬学部に入学。

父の敷いたレールに乗って薬学を学びはじめた茨木であるが、まるで向いていない世界であった。

勤労動員と空襲がはじまり、学校での勉学は有名無実となっていく。

6月、山本五十六元帥の国葬に一年生全員参加。

父は私を薬学専門学校へ進めるつもりで、私が頼んだわけではなく、なぜか幼い頃からそのように私の進路は決っていた。父には今で言う「女の自立!」という考えがはっきりと在ったのである。女の幸せが男次第で決ること、依存していた男性との離別、死別で、女性が見るも哀れな境遇に陥ってしまうこと、それらを不甲斐ないとする考えがあって、「女もまた特殊な資格をを身につけて、一人でも生き抜いてゆけるだけの力を持たねばならぬ」という持論を折にふれて聞かされてきた。・・・・・

明治生れの当時の男性としては、すばぬけて開明的であったと思うが、そうなった原因を探ってみると、二つのことに思い至る。一つは父の長姉が若くして未亡人となり、それから苦心惨憺、検定試験を受けて女学校の先生となった辛苦のさまを末っ子の父がつぶさに見聞しただろうこと。長姉が不幸のトップを切ったために次姉たち二人は発奮して、二人ともお茶の水女高師を出ている。教育県として知られる長野県人であったとしても、祖父もまた男女の区別をつけない人であったらしい。

もう一つは若い時、父はドイツへ留学して医学を学んだ経験があり、それが日本女性とヨーロッパ女性とを常に比駿検討させたか? と思う。日本では結婚しない女は半端もの扱いだが、ヨーロッパでは一生独身でシャンと生きてゆく女が一杯居るというふうなこともよく聞かされたし、ドイツ語の先生として、かつて父が選んだ女史もそういう人だったそうで、女らしい反面「○○月謝を持ってきたか」などとはっきり言える人でもあり、いずれにしても日本の女は経済的にも心情的にもあまりにも男性依存度が高すぎるということだった。

娘を育てるについても、質実剛健、科学万般に強く、うなじをあげ胸を張って闊歩する化粧気すらないドイツ女性が理想のイメージとしてあったらしい。

というわけで、東京の浦田にあったその名も帝国女子医学・薬学・理学専門学校の薬学部に入学した。現在の東邦大学薬学部に当る。当時は推薦入学制度というのがあって、女学校の成績と家庭環境が良ければ、無試験で何パーセントかは採るという、のんびりしたところがあった。担任の先生が推薦状に名文を草して下さったらしいお蔭で、女学校卒業前に決定した。そして私ときたら白衣を着て実験などすることに憧れているばかりだった。

昭和十八年、戦況のはなはだがんばしからぬことになった年に入学して、間もなく戦死した山本五十六元帥の国葬に列している。その頃から誰の目にも雲行怪しくなってきて、学生寮の食事も日に日に乏しく、食べざかりの私たちはどうしようもなくお腹が空いて、あそこの大衆食堂が今日は開いていると聞くと誘いあわせて走り、延々の列に並び京浜工業地帯の工員たちと先を争って食べた。「娘十八番茶も出花」という頃、われひとともに娘にあるまじきあられもなさだった。食べものに関する浅ましさもさまざま経験したが、今、改めて書く元気もない。

それでも入学して一年半くらいは勉強出来て、ドイツ語など一心にやったが、化学そのものはちんぷんかんぷんで、無機化学、有機化学など私の頭はてんで受けつけられない構造になっていることがわかって、「しまった!」と臍かむ思いだった。教室に坐ってはいても、私の魂はそこに居らず、さまよい出でて外のことを考えでいるのだった。全国から集った同級生には優秀な人が多く、戦時中とは言っても高度な女学校教育を受けていた人達もいて、落差が烈しく、ついてゆけないというのは辛いことで、私は次第に今でいう〈落ちこぼれ〉的心情に陥っていった。

(「はたちが敗戦」)


新刊本が少なかったこの時期、『万葉集』(武田祐吉編)を買い求め、熟読する。


茨木 ・・・、私の少女時代には、それこそ新刊本は無くて、読むものは古典くらいしかない。だから万葉集なんてよく読みましたよ、くりかえし。

大岡 ああ、そうですか、やっぱりね。

茨木 十代の後期 - 十七歳位の時。

戦争中だったから「み民(たみ)あれ生ける験(しるし)あり」とか、「醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つわれは」などがもてはやされたわけですね。私はむしろ、若いから恋歌とか東歌に夢中になっていましたけど、ただ、学校で万葉集なんて習った覚えはないんですよね。教科書には古今集の十首くらい。万葉集は入っていなかったんです。

大岡 へ-え、それはユニークな教科書だったんだね。

茨木 それでね、私は自分で買って読んだ。武田祐吉編の、ザラ紙で印刷も悪いすさまじい製本のですが未だに愛着があって捨てられないんです。それを持ってお嫁に来て、まだあるけれど。

大岡 それも一人で発見したということですね。恋歌といえば、巻の一に出てくる額田王あたりから始めるということになりますね。

(大岡信対談)


《参考資料》

後藤正治『清冽 詩人茨木のり子の肖像』(中央公論社)

後藤正治『評伝茨木のり子 凛としてあり続けたひと』(『別冊太陽』)

金智英『隣の国のことばですもの 茨木のり子と韓国』(筑摩書房)

成田龍一「茨木のり子 - 女性にとっての敗戦と占領」(『ひとびとの精神史第1巻 敗戦と占領 - 1940年代』)

井坂洋子『詩はあなたの隣にいる』(筑摩書房)

芳賀徹『みだれ髪の系譜』(講談社学術文庫)

中村稔『現代詩の鑑賞』(青土社)

高良留美子『女性・戦争・アジア ー 詩と会い、世界と出会う』(土曜美術社)

小池昌代「水音たかく - 解説に代えて」(谷川俊太郎編『茨木のり子詩集』所収)

蘇芳のり子『蜜柑の家の詩人 茨木のり子 - 詩と人と』(せりか書房)

『展望 現代の詩歌 詩Ⅳ』(明治書院)


『文藝別冊「茨木のり子」』所収論考

長谷川宏「茨木のり子の詩」

若松英輔「見えない足跡 - 茨木のり子の詩学」

姜信子「麦藁帽子にトマトを入れて」

河津聖恵「どこかに美しい人と人との力はないか

 - 五十六年後、茨木のり子を/から考える」

野村喜和夫「茨木のり子と金子光晴」

細見和之「茨木のり子の全人性」


《茨木のり子の作品》

大岡信との対談「美しい言葉を求めて」(谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』(岩波文庫)所収)

茨木のり子「はたちが敗戦」(『ストッキングで歩くとき』堀場清子編たいまつ新書1978年)

茨木のり子「「櫂」小史」(『現代詩文庫20茨木のり子』所収)

茨木のり子『ハングルへの旅』(朝日新聞社)

茨木のり子『わたくしたちの成就』(童話屋)

茨木のり子/長谷川宏『思索の淵にて - 詩と哲学のデュオ』(近代出版)

茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書9)

茨木のり子『個人のたたかい ー金子光晴の詩と真実ー』(童話屋)

茨木のり子『茨木のり子全詩集』(花神社)

谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』(岩波文庫)

高橋順子選『永遠の詩② 茨木のり子』(小学館)


茨木のり子の詩と茨木のり子関連記事 (最終更新日2021-12-23)





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2021年12月23日木曜日

詩人茨木のり子の年譜(改訂ー2) 1928(昭3)2歳~1941(昭16)15歳 金素雲『朝鮮民謡選』(岩波文庫)を少女時代に愛読していたこと

 


詩人茨木のり子の年譜(改訂ー2)


1928(昭3)2歳

弟英一生れる。家庭内では母がしゃべる庄内弁をたっぷり浴びて育つ。


1931(昭6)5歳

父の転勤により京都に転居。京都下総幼稚園に入園。


1932(昭7)6歳

愛知県西尾市に転居。


1933(昭8)7歳

愛知県西尾小学校入学。母の影響で宝塚に夢中となる。

茨木 ・・・子供時代には宝塚ファンで、よく見ました。亡くなった母が好きでしたから。私も夢中になって。舞台の魔力はまず宝塚から。・・・

(大岡信との対談「美しい言葉を求めて」 谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』(岩波文庫)所収)


1937(昭12)11歳

母・勝が結核で没。のり子は小学校5年生。

「このごろは戦争戦争でいつぱいだ どこへいつても戦争だ 兵隊はどんどんゆく まつたく涙ぐましい次第である」

(昭和12年9月2日の日記) (別冊太陽)


「戦争が始ったんだって。いやだねえ。」

「ふうン、どこと?」

「支那とだが。」

校庭でドッジボールをしなから始業前のひととき三河弁でそんな会話がボールとともに飛びかっなのは、私の小学校五年生のときで、のちに日支事変と呼ばれるものだった。

子供ごころにも何やら暗雲のかげさして、いったいどうなるのだろうと不安になったのだが、それから太平洋戦争に突入して八年後には敗戦となる運命は知るよしもなかった。

(「はたちが敗戦」)


1939(昭14)13歳

愛知県立西尾女学校入学。「活字の虫」のような本好きで、夏目漱石、森鴎外、中勘助、佐藤春夫、吉川英治、林芙美子、吉屋信子、横光利一などを手当たり次第に読む。

この年、第二の母のぶ子を迎える。


1941(昭16)15歳

太平洋戦争勃発。

全国で最初に校服をモンぺに改めた学校で良妻賢母教育と軍国主義教育とを一身に浴びる。


先日、知人と話していて、私が、金素雲氏の『朝鮮民謡選』(岩波文庫)を、少女時代に愛読していたことに話が及び、

「じゃ、ずっと昔からじゃないですか」

と言われ、そう言われれば関心の芽は十五歳くらいからか・・・・・と改めて振りかえる思いだった。


麻の上衣(チョゴリ)の

中襟(なかえり)あたり

硯滴(みずさし)のよな

あの乳房、


莨種(たばこだね)ほど

ちらりと見やれ

たんと見たらば

身が持たぬ

  *

なんとしましょぞ

梨むいて出せば

梨は取らいで

手をにざる

  *

姑 死ぬよに

願かけしたに

里のおふくろ

死んだそな


いま読んでも、うっとりさせられるが、少女時代にもそれなりに隣国の民謡の神髄に触れ得ていたと思う。くりかえし読んだのは、言葉のわかりやすさ、素朴さ、愛情表現の機智に惹かれたのかもしれない。

一九三三(昭和八)年刊のこの本は、当時から名訳のほまれ高いものだったが、改めて読み直してみて、婦女謡 - 女たちの嫁ぐらしの辛さをうたったものに面白いものが多いのを新たに発見したし、また金素雲(キムソウン)氏の秘められた抵抗精神を受けとらざるを得なかった。

ほぼ四十年を経て、彼の蒔いた種子が、ひょっこり私の中で芽を出したと言えなくもない。・・・・・」

(『ハングルへの旅』)


のちに、金素雲の孫でシンガーソングライターの沢知恵が詩人の長編詩「りゅうりぇんれんの物語」を弾き語るというエピソードが生まれる(後述)


《参考資料》

後藤正治『清冽 詩人茨木のり子の肖像』(中央公論社)

後藤正治『評伝茨木のり子 凛としてあり続けたひと』(『別冊太陽』)

金智英『隣の国のことばですもの 茨木のり子と韓国』(筑摩書房)

成田龍一「茨木のり子 - 女性にとっての敗戦と占領」(『ひとびとの精神史第1巻 敗戦と占領 - 1940年代』)

井坂洋子『詩はあなたの隣にいる』(筑摩書房)

芳賀徹『みだれ髪の系譜』(講談社学術文庫)

中村稔『現代詩の鑑賞』(青土社)

高良留美子『女性・戦争・アジア ー 詩と会い、世界と出会う』(土曜美術社)

小池昌代「水音たかく - 解説に代えて」(谷川俊太郎編『茨木のり子詩集』所収)

蘇芳のり子『蜜柑の家の詩人 茨木のり子 - 詩と人と』(せりか書房)

『展望 現代の詩歌 詩Ⅳ』(明治書院)


『文藝別冊「茨木のり子」』所収論考

長谷川宏「茨木のり子の詩」

若松英輔「見えない足跡 - 茨木のり子の詩学」

姜信子「麦藁帽子にトマトを入れて」

河津聖恵「どこかに美しい人と人との力はないか

 - 五十六年後、茨木のり子を/から考える」

野村喜和夫「茨木のり子と金子光晴」

細見和之「茨木のり子の全人性」


《茨木のり子の作品》

大岡信との対談「美しい言葉を求めて」(谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』(岩波文庫)所収)

茨木のり子「はたちが敗戦」(『ストッキングで歩くとき』堀場清子編たいまつ新書1978年)

茨木のり子「「櫂」小史」(『現代詩文庫20茨木のり子』所収)

茨木のり子『ハングルへの旅』(朝日新聞社)

茨木のり子『わたくしたちの成就』(童話屋)

茨木のり子/長谷川宏『思索の淵にて - 詩と哲学のデュオ』(近代出版)

茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書9)

茨木のり子『個人のたたかい ー金子光晴の詩と真実ー』(童話屋)

茨木のり子『茨木のり子全詩集』(花神社)

谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』(岩波文庫)

高橋順子選『永遠の詩② 茨木のり子』(小学館)


茨木のり子の詩と茨木のり子関連記事 (最終更新日2021-12-23)



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灯   茨木のり子(「アムネスティ人権報告」1993年12月 67歳)

 


灯         茨木のり子


人の身の上に起ることは

我が身にも起りうること


よその国に吹き荒れる嵐は

この国にも吹き荒れるかもしれないもの


けれど想像力はちっぽけなので

なかなか遠くまで羽ばたいてはゆけない


みんなとは違う考えを持っている

ただそれだけのことで拘束され


誰にも知られず誰にも見えないところで

問答無用に倒されてゆくのはどんな思いだろう


もしも私が そんな目にあったとき

おそろしい暗黒と絶望のなかで


どこか遠くにかすかにまたたく灯が見えたら

それが少しづつ近づいてくるように見えたら


どんなにうれしくみつめるだろう

たとえそれが小さな小さな灯であっても


よしんば

目をつむってしまったあとであっても


(「アムネスティ人権報告」1993年12月 詩人67歳)